おっさん写真

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2015/09/13

わたしもいい年をしたオッサンである。

田川伊田駅

依頼されればなんでも撮りに行くわけではあるが(得意不得意はもちろんある)、人物写真では男性の写真が好評価をいただくことが多々。よく撮られてている方から、他のカメラマンと見えている世界が違うからお願いしたいと言われたのはちょっと嬉しかった。

いま長期でお世話になっているお客様からも喜んでもらえ、追加依頼もきたんで記念カキコ。

苦手な早起き、高いところで下を見たらヒュンヒュンして降りれなくなるとか、上を見ながら降りたら野バラの藪に降下、斜面を転げて泥まみれ、暑くて頭痛、虫さんこんにちわ、そいつはマムシだ、これはシマヘビや、蜂が来たそら逃げろ、子熊が出たぞ三脚用意、とかいう日常を送りながらおっさんたちを撮ってます。

んで、たまにお客さまのオフィスに所用でいくといわゆるOLさんたちがいて挙動不審になるのもお約束である。

北九州市-門司港駅

関門海峡ライブ館(旧JR九州北九州本社)
門司港駅方面俯瞰ここ3年、毎年来ていたことに気付いた。
門司港は端頭式ホーム、つまり行き止まりホーム。終着駅は始発駅(宮脇俊三)。上野駅の地平ホームや天王寺の阪和線ホーム、阪急梅田駅と同じ方式。
門司港ホーム
東小倉駅
門司機関区
はじめて来たのは27年前で暗くなってからだったので、駅から外には出ていない。小倉を出て東小倉、門司、小森江と止まっていくが
小倉を出てから複雑な配線が続き、貨物線と東小倉、門司操車場、門司機関区と続いて門司駅。’84.2に続き、前年秋’86/11)にもダイヤ改正があり、使われなく鳴った引き込み線、解体前提で留置されたボロボロの貨車群、灰色の各種工場、倉庫が連続していた。
東京漂流」の藤原信也氏は門司港出身だそうだ。

元門司鉄道管理局庁舎、JR九州北九州本社

門司は関門トンネルを介して本州と繋がる運転上重要な駅ではあるが、駅のホームは客車時代のままで低く、広く長いホームの柱もトラス構造の歴史がある(要するに古い)つくりで、蛍光灯の白々しい明かりも相まってこの世の果てのような感じだった。小倉方は門司機関区と操車場のヤード照明灯がギラギラと光条を放ち、海の雰囲気を感じる海峡側はサッポロビール工場のレンガ建造物とタンクが周囲を威圧していた。長らく地下道が各ホーム間を結んでいたのだがそれも2004年3月末までで、4月からは橋上駅舎に切り替わり役目を終えた。
門司駅ホーム
関門トンネルをくぐって下関にいく客車列車(この頃はブルートレインだけ)は関門トンネル用の機関車に付け替えるために5分は停車する。そのため、ホームにはうどん/蕎麦売店があり、車内持ち込み用のプラスチック丼でも販売していた。容器代で2,30円追加指定たと思う。

門司を出たあとは速度を上げることもなく、関門トンネル孔口をみながら延々とレールのジョイント音を聞きながら静かになった頃に小森江着。南側にロールケーキのようなコンクリートの塊があり、これから関門トンネルのシールド掘削機を搬入したらしい。R199は協和発酵の工場あたりで高架橋になっていたが、それが引き込み線跡で関門トンネル開業後も営業していた関門貨物航路の門司側(小森江桟橋)との接続線路の跡でもあったと知ったのは後年、鉄道友の会の北九州例会だった。

小森江を出てからまた錆びた線路群がでてきてこれが葛葉貨物駅の跡、さらに海側には門司埠頭貨物駅に続いているはずだがセメントサイロや倉庫、工場などが林立して忙しない、どれもが廃墟のように見えた。廃墟の間から海峡の向こう、下関の光。東京ならウォーターフロント開発などしてもおかしくない雰囲気と立地ではあったが、ここ関門海峡では更地となり、ロードサイド店のファミリーレストランやビジネスホテルが建つところもあれば、更地のママ放置されているところのほうが目立つ。人家は山側を通っているR3側ではあるが、山裾で平地が少ないこともあり密集している。

今思うと非常にもったいないことをした。門司港レトロなどという観光地化計画が始まる前で、噴水の有る駅前広場はバスやタクシーが出入りしていて、駅前も場末感に満ちていた。R199側の埋め立てもまだで、ビルは海に面しているようだった。
駅事務室というかみどりの窓口の柱には犬が繋がれていたと思う。
列車の到着に合わせて西鉄バスが発車していた。

門司港運転区
門司港ホテル

博多廻り西鹿児島行の急行かいもん、大分廻り宮崎以南普通列車となる西鹿児島行の急行日南、ともに隣接する門司港運転区よりDEが引き出してホームに据え付け、EDに付け替えていたように思う。EDが直接据え付けていたかもしれないが。
門司港から乗ると自由席もガラガラで席の確保に困ったことはなく、車両運用の都合からか自由席車にも廃車発生品であるグリーン車のシートを装備した車両が充当されることがあり、これは乗車率が良かった。車端部にティーサーバーも付いていた。
座席車は12系、寝台車は24系で混結運用されていたが、機関車の次位にスハフ14を連結して門司港を出たことがあった。車体の窓に紙が貼ってあり、団体対応だったらしい。ただし、電気系統が安定せずに本来編成側の12系の車内灯が消えたり、スピーカーから低いジーというノイズが鳴ったり、検査係を呼び出す車内放送が流れたりと落ち着かなかったものの、発車までには落ち着いたと思う。

門司で空席が埋まり、小倉からは通路も立客で埋まった。折尾からは山越えがありEDのホイッスル音が聞こえてくる。
熊本で起こしてもらうように通路のおじさんにお願いして、寝た。
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池尻駅,1994年

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2013/08/01

199410 IMG 0065
日田彦山線 池尻駅, 1994,10
写真のキハ58,65は直方区所属で、新入にあった直方気動車区自体、筑豊本線電化に伴い廃止され、ロードサイド型店舗と広大な駐車場に変わった。

カメラのキタムラで売っていた、Tri-Xの詰め替えフィルムだったと思う。
モノクロネガフィルムはロール売りもしていて(映画のフィルム缶を想像すればだいたい合ってる)、それをキタムラが(恐らくDPPで回収した)パトローネに詰め替えて1本または3本ごとにアルミパックにしていた。ネオパンSSも在ったかな。ISO400はTri-XでISO100はネオパンという棲み分け。細かい価格までは覚えていないが、1割-2割安かったと思う。まとめ買いすれば違いは大きかった。

 この店舗もGoogleEarthで見ると廃止されたようで、屋上看板も含めて白く塗られ、隣接していた地場スーパーも大手コンビニの大型店舗となってた。よく対応してくれた店長さん以下はどこにいったのだろう。プリントをよく見てくれた店員さんはスーパーのレジ係のひとと仲良くなろうと頑張っていたけど、どうなったのだろうと思う。